戦艦 武蔵
ヨシオのエッセイ
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旧日本海軍の戦艦 大和 を知らない人はほとんどいません。
しかし大和の姉妹艦である同型の戦艦である ”武蔵” の存在を知る人は、今日では戦記物のファンでもない限りあまりいないのでは
ないのでしょうか。
武蔵 は大和と並び当時世界最大の巨大戦艦でした。 大和と同じ大きさで大和二番艦といわれました。
昭和十七年八月に就役し、ひと頃は連合艦隊の旗艦をつとめましたが、昭和十九年十月
フイリッピン沖の シブヤン海海戦 で航空機の魚雷や爆弾数十発を受け沈没しました。
大和と並んで世界最大の九門の46センチの主砲は敵艦に向けられることは一度も無く
僅か二年ほどの短く無念の生涯でした。
開戦後に就役したため一般国民はその雄姿を見る機会もありませんでした。
武蔵や大和のような巨大戦艦の必要性うんぬんはともかく、こうしたものを生み出した当時の日本の技術力は高く評価してもよいと思います。
こうした事実がその後世界有数の技術国であるわが国につながったと思われます。
零式戦闘機(ゼロ戦) :GIFアニメ
信濃
<大和型三番艦 ”信濃”>
一般にはほとんど知られていませんが大和型艦船はもう一隻あったのです。 ”信濃” と命名されていました。
当初は大和型の戦艦として建造が進みましたが 戦局の変化にともない建造途中で 空母に
変更されました。 途中からの無理な変更だったため搭載機は艦の大きさとしてはやや少なめになりましたが 大和と武蔵と
同サイズなので壮大な空母でした。
しかし
1944年11月 就役直前に日本近海を航行中にアメリカの潜水艦の奇襲による魚雷攻撃を受け沈没してしまいました。
乗員の訓練不足による対応の手落ちが原因といわれています。 戦争末期になると兵員の質の低下は
深刻だったのです。
写真もほとんど残されておらずまさに ”幻の巨大空母” です。
下記はおそらくただ一枚だけ残された写真ですがおぼろげながらその威容をしのばせます。
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